Après désespoir…(sample)


 知ったときにはすべてが遅かった。
 先払いの保険金……取り返すためにさらに積まれる金…金…金……
 仲間の裏切りに気づき、精神的なダメージを蒙りながらも、それでも途中までは盛り返した伊藤開司であったが、最後は破滅した『17歩』。
「まあ、ここまで膨らんじゃうと、実際切り刻むだけじゃ足りない…なぁに、切り刻んでも死なない方法ってのもあるんだ。それで不足分は時間をかけてチマチマと返してもらう」
 クククッ……悪魔のような若者は、楽しげに咽喉を鳴らした。
 切り刻まれた後も死なない方法で…ということにやはり臓器からかと、もともと青褪めていたカイジの顔からはますます血の気が引くが、それでも命が助かるということは、少しは安心してもいいのだろうか?と、希望めいた考えもよぎる。
生き延びればいずれどこかで突破口が開ける……だが、一筋の光明のはずなのに、あの兵藤の息子…和也のツラを見れば、それはまったく実感を伴わない。
 サングラス越しの眼が、怪しく光る。
「きっと死んだほうがマシなんだろうよ。あんたも知ってるような有名な都市伝説でさぁ……新婚旅行に行った新妻が、旦那が目を離した隙に拉致られて、旦那が長い間捜し歩いた挙句、裏の売春宿で腕足もがれたいわゆる『ダルマ』で客をとらされてた恋女房と、涙の再会って話。この『ダルマ女』が裏の世界では、けっこうな需要があるって話だ。確かに普通の売春なら、男は一回1万2万の世界だが、付加価値がつけばその限りじゃねぇよなぁ」
 ニタニタ笑いながら、カイジの耳元でそんなことを囁くその様は、獲物にゆるゆると巻きつきじわじわと絞め殺す蛇の如く……相手が生気をなくしてゆくのを楽しんでいる。
 四肢切断の上で売春……男としてどころか人として、あらゆる尊厳を奪われる……世界がグニャグニャに歪み、立っている床も泥のように沈んでゆく感覚に、今にも倒れそうだ……だが、カイジは「ふざけるなっ、このヘンタイっ!!」と、ほとんど虚勢で吼えた。
 こんなところで気絶したら、目覚めたら本当に、どこかの薄汚れた売春窟に転がされそうな気がした。
 和也はそれを面白そうに眺め、再びクククッ…と咽喉を鳴らし、舌先でくちびるを濡らす。
「それはどうかな?……俺はこれでもあんたのファンでね。俺こそがあんたが真の欲望の海にダイブさせることの出来る、いわば下僕だと思っている」
「なんのことだっ」
「自分が切り刻まれる…両手両足、全部もがれて、男どもの薄汚い欲望を解消するためだけの道具にされる…そんなことに内心、ぞくぞくしてるんじゃないかってことさ」
 カイジの顔にカッと血の気が差したかと思えば、途端に青褪める。
「ばかなっ…そんなことあるはずないっ…親からもらった大事な体をそんな…」
「その親からもらった大事な体の耳を自分で削いだり、指を掛け金代わりにしたのはだ〜れだ?」
「……それはっ…」
 言い返したいが確かに事実……言葉に詰まるカイジの肩を、ポンと気安く略奪者は叩いた。
「まぁ…持たざるものが一か八かの賭けに出るってことはそういうことなんだろうからな。でもそこまでいったら懲りるだろう?普通ギャンブルは……ちまちま返しながら、社会の片隅でこっそり生きていく…いや、ここに来る前は素寒貧でもノー借金だったな。だけどやっぱり痛い目見たら、あとは普通に地味に暮らそうとか思うだろう?でもあんたはこうしてまた賭けている」
「ここまできたら、途中で切り刻むだのなんだの聞かされたら、生き残るためには積むしかねぇだろうがよっ」
「本当にそれだけか?」
「………」
 自分よりも若い男にいいように言葉で弄ばれながら、カイジはその言葉に言い返すことはできなかった。希望と絶望の狭間で、じりじり精神を焼かれるのはとてつもないスリル……快感だった。
「まぁ恥じることはない。誰でも破滅の快楽ってのは抱えてるんだろうよ?これでも俺も気は小さいほうでね……いくら本人が了承してる、最悪の場合は金で揉み消せるったって、借金のカタに人の体のパーツをルーレットに従って潰していって、最後には命で清算していただきましたってことが露見すれば、さすがの俺も破滅する…だが、そこがスリルでやめられない。あんただってそうだろう?借金のカタで切り刻まれるって聞いて、おっかない以外のところでも、ぞくぞく来ただろうが?」
「うるさいっ!!そんな御託っ!!……お…俺も男だ…ルーレット、回す…最後は命で清算でいい……だから…」
「ダルマで生きるより、死んだほうがいい?…そんなに早くあきらめちゃっていいのかなぁ…ホントに最後のチャンスをあげようってゆーのに」
「最後のチャンス…?」
「ファンだって言っただろう?名うてのギャンブラーのあんたと俺の、直接対決だ。これであんたが勝ったら、借金はチャラ…その上、今その卓に乗ってる額と同金額をあんたに差し上げよう。さすがの俺でも、これだけの出費となればさすがに痛手…魂が痺れる。だが、あんたが負けたらダルマ…ついでに負荷条件もつけさせていただく」
「なんだよ、その負荷条件てのは…」
「ダルマとなれば当然失う四肢についてのことだ。それを聞いたときのあんたの反応も込みであんた側の掛け金ってことにしたい。聞けばマトモな人間誰もが不愉快になるようなことを、わざわざ今、聞く必要もないだろう?」
 にやにやにやにや……有名な童話のチャシャ猫は、もしかしたらこんな顔で人を小馬鹿にしていたのかもしれないが、絶望以外の唯一つの道を示されたカイジには、そんなことを気にする余裕はない。
 本当にこれが最後の勝負……
 覚悟を決めたカイジの股間を、和也はいきなり掴んだ。
「こんなおっかない勝負を前にして、普通なら縮み上がるってもんだろうに、頼もしいもんだな」
 かぁ〜っと、カイジの頬に血が昇る。
 確かに本当なら縮み上がり、下手をすれば失禁ということさえありうるのに、カイジのそこは滾り…自分でもそんなことはありえないと思うのに、先ほど和也に指摘された自分の性癖が真実だとでも言うような反応に、カイジは戸惑っていた。


 絶体絶命の極限状態でなければ覚醒しない男…
 だが、その伝説もここで打ち止めらしい。
 負けた瞬間に、黒服たちに確保され、睡眠薬で眠らされたカイジは、清潔な病院といった風情の部屋で目が醒める。
 当然の如く、四肢は拘束されており…唯一自由になる首をめぐらせれば、すべてを把握することはできないが、どうやら衣服はすべて剥ぎ取られているようだった。
「目が醒めたか?」
 口をきく気力もなく…目を背け、天井を見れば、先ほどまでただの白い天井だったところに、自分の裸体が映し出されていて、ギョッとする。
「せっかくのショーだ。ちょっと調整すればバラされる部分が大映しになる…自分の体を使った、正真正銘一世一代の遊びなんだから、楽しまないとな」
 戦場で足を吹き飛ばされた兵士が、自分のそれを目の当たりにしてショック死することがあるという……いっそ、そうなってしまえばいいと、涙ぐみながら思っているカイジにの指を、和也は婚約者に指輪をはめるような、妙にいとおしげな表情で触れた。
「親がアレだし、家は金持ちだもんで、一通りの美食ってのは俺も味わってきてるんだけどさぁ……」
 何も見たくない、聞きたくない……が、今のカイジにある自由は瞼を閉じることだけである。それもいざ切断となれば、薬物で瞼を閉じないようにされてしまうこともありうるのだが……
「さすがに試したことはないんだよな…人間の肉ってヤツは」










※ これだけ読めば坊カイだるま展開ですが、遠カイ部の方が多いです。
  本文は縦書2段組のため、多少読みやすいかと思います。